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鹿児島のコリアンバラックタウン

短期間だけど関わった街ではあるので、自分の人生の一部の記録として、残しておきたいと思います。

きっかけはこのエントリを読んだところから。

本土最南端の鹿児島市に戦後の面影を匂わせる在日コリアン集落がある。鹿児島新港の目の前にある「城南町」だ。今でもこの場所には朝鮮総連の建物が残っていて、狭小住宅が密集する路地が見られる。家は傾き、路地には桜島の灰が積もり独特の風景が広がっていた。

実はこのバラックタウン、大学時代に年賀状配達のバイトで配達していたことがあります。90年代末のことです。

選んだ郵便局は、家から全く反対方向の場所。東京で例えて言うと「江戸川区民が板橋区の郵便局の配達をやる」という感じです。

なぜ近場にしなかったかというと

  • 前年まで塾講師を長くやっていたため地元でツラが割れており、運悪くバレると面倒になりやすかった
  • 単に知らない土地で配達してみたかった
  • ラボ畜やってて大学で寝泊まりしていたので距離的に都合が良かった

という理由でした。

そしてここにアサインされて「なんでオレをここの担当にしたんだw」とは思いましたが、郵便局も「珍しい名字だからもしかして同胞じゃないのか?」「デカいバイク乗ってて修羅場くぐってきてるだろうから、コイツならいける」と思ったのでしょう。ていうかそう思いたい。まあうちの家系は山口・広島方面なんですがw

さてあのころは普通に人が住んでおり、ドアが開いてれば「こんにちはー」と声を掛けて配達物を手渡ししたり、書留のハンコを押してもらったり。

俗に言う学生の冬休み期間のたった2週間でしたが、ここに住む人々の生活に関わったことがあったのでした。

そんなわけで先ほどのエントリで状況を見て終焉を感じ、野次馬根性でも何でもなく、外野であれど当時そこの生活にかかわった人間として今の姿を目に焼き付けておかなければ、と純粋に思ったのでした。


そんなわけで行ってきました。

※注意

少なくなったとはいえ、まだ住民がいる街です。土地柄や歴史上の経緯もあります。興味本位で安易に行くことは推奨しません。

おい傾いてるぞ奥の家。

自分が来たのはかれこれ15年以上も昔の話だし、思い出補正もかかってると思いますがここまで傾いている家も無かったはずで、「ああ…」という感じでした。

朝鮮会館も看板が外されて、出水のほうに移転したそうです。

ドアの左のガラスが破壊されてるのが空しい気分になります。

なお、ここに郵便物を配達することは一回もなかったと記憶しています。あの頃から人の気配は無かったでした。

木に浸食された家屋。自然の力が勝った場所。

ここの路地を見ると、洗濯物が干されている家もあり、一部はまだ人が住んでいます。なので画像は無し。

そして「この通りを郵政カブで走り回ってたんだオレ…」と思うと、元から寂れていたところがさらに寂れた空しさ余計に感じます。


この付近を離れ、川沿いに移動します。

電信柱側の2階のトタンがブラブラしています。

台風が来たらこれがどこかに飛んでいって危ない思いをしそうです。

もうちょい歩いていると。

ついに、自治体による強制撤去が始まったようです。

「住まなくなった」の上にテープで貼られているのは、何を意味しているのか。

実際に壊している最中でした。

これから、この近辺は立て替えられた一部を除いて、更地になって再開発が始まるのでしょう。社会というものに永遠は無く、常に変化していくのです。

もう、二度と来ることは無いでしょう。

若いときに駆け抜けた人生の一部だったということで、残しておきたいと思います。


さてこの近辺、今で言うところのカップルズホテルもあり、これらも郵便配達の対象でした。だからなんでオレをそういうところにアサインしたんだよ郵便局はw

当時はもっとホテルが多かったと思いますが、だいぶ減ったようですね。

んでこういうところへの郵便配達はどうするかというと、郵政カブでカップルズホテルの駐車場に一人で乗り付け、マジックミラーの受付の穴に「郵便でーす」と言って郵便物を入れるわけです。これもまた微妙な気分。

年賀状配達のバイトといえども、OJTがあるのでクリスマス前から配達するわけで、まあ色々とアレですよね。

しかし一番驚いたのは、駐車場を見るとクリスマスより元旦のほうが車が多かったというところでした。そんな90年代。


(おまけ)

この近くにはレッドバロン(赤男爵)があるわけですが。

看板ボロボロやないか…この場末感、オマエもそのうち壊されるんじゃないか?

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